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活動報告

中西けんじの国政報告をはじめ、所属している各委員会での議論内容などについてご報告させていただきます。

国会活動

質問主意書≪安保法制⑥ 昭和47年見解における論理の解釈≫

2015年06月25日 (木)

 

議長提出:2015年06月25日

内閣転送:2015年06月29日

回   答:2015年07月03日

昭和四十七年の政府見解の論理の解釈に関する質問主意書

政府は、平成二十七年六月九日の「新三要件の従前の憲法解釈との論理的整合性等について」において、「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」(平成二十六年七月一日閣議決定)で示された「武力の行使」の三要件(いわゆる新三要件)は、昭和四十七年十月十四日に参議院決算委員会へ政府が提出した「集団的自衛権と憲法との関係」で示された政府見解(以下「昭和四十七年の政府見解」という。)の基本的な論理を維持したものである、と主張する。

政府が、「新三要件の従前の憲法解釈との論理的整合性等について」において引用する昭和四十七年の政府見解は、以下のとおりである。

①憲法は、第九条において、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において「全世界の国民が・・・・平和のうちに生存する権利を有する」ことを確認し、また、第一三条において「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、・・・・国政の上で、最大の尊重を必要とする」旨を定めていることからも、わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない(以下「①の論理」という。)。

②しかしながら、だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最少限度の範囲にとどまるべきものである(以下「②の論理」という。)。

③そうだとすれば、わが憲法の下で、武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない(以下「③の論理」という。)。

そして、政府は、②の論理について、「②の論理の解釈そのものをしたことはないわけでございます。」と答弁している(平成二十七年六月十九日の衆議院我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会における横畠裕介内閣法制局長官答弁)。

また、政府は、②の論理における「外国の武力攻撃」について、「②の論理そのものからしますと、先ほど申し上げたように、九条のもとで武力の行使ができる根拠というものを示しているわけですから、必ずしも我が国に対する直接の武力攻撃に限定されているものではない、②の論理としては限定されているものではないということでございます。」と答弁している(平成二十七年六月十九日の衆議院我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会における横畠裕介内閣法制局長官答弁)。

しかし、平成二十七年六月二十二日の衆議院我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会において、過去に内閣法制局長官を務めた宮﨑礼壹参考人は、②の論理について、「この「外国の武力攻撃」とは何を指すかであります。外国とは相対的な概念でありますから、その後に「国民」とありますので、それとの関係において考えるしかありません。つまり、外国の我が国に対する武力攻撃によって我が国民のと読むしかないのであります。」と意見を陳述している。

宮﨑参考人の意見は、②の論理の解釈に相当するものである上、「外国の武力攻撃」の解釈について、政府が否定する我が国に対する武力攻撃への限定を認めるものである。加えて、宮﨑参考人は元内閣法制局長官であり、過去に政府答弁を行う立場であったことから、現在の政府答弁との整合性が問題となる。

以下、質問する。

一 政府は、過去において、②の論理の解釈を行ったことはないか。元内閣法制局長官である宮﨑参考人の意見との整合性に触れつつ、政府の見解を明らかにされたい。

二 政府は、過去において、②の論理における「外国の武力攻撃」を、我が国に対する武力攻撃に限定した答弁を行ったことはないか。元内閣法制局長官である宮﨑参考人の意見との整合性に触れつつ、政府の見解を明らかにされたい。

右質問する。

参議院議員中西健治君提出昭和四十七年の政府見解の論理の解釈に関する質問に対する答弁書

一及び二について

御指摘の平成二十七年六月二十二日の衆議院我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会における宮﨑礼壹参考人の発言は、既に内閣法制局を退職している個人の意見であり、政府の見解を述べたものではない。

その上で、昭和四十七年十月十四日に参議院決算委員会に対し政府が提出した資料「集団的自衛権と憲法との関係」(以下「昭和四十七年の政府見解」という。)は、御指摘の①及び②の部分において、憲法第九条の下でも例外的に自衛のための武力の行使が許される場合があるという基本的な論理を示した上で、御指摘の③の部分において、これに当てはまる場合は我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限られるという当時の認識の下で、結論として、この基本的な論理に当てはまる例外的な場合としては、我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限られるとしたものである。

一方、パワーバランスの変化や技術革新の急速な進展、大量破壊兵器などの脅威等により我が国を取り巻く安全保障環境が根本的に変容し、変化し続けている状況を踏まえれば、今後他国に対して発生する武力攻撃であったとしてもその目的、規模、態様等によっては、我が国の存立を脅かすことも現実に起こり得る。「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」(平成二十六年七月一日閣議決定。以下「本閣議決定」という。)でお示しした「武力の行使」の三要件は、こうした問題意識の下に、現在の安全保障環境に照らして慎重に検討した結果、このような昭和四十七年の政府見解の①及び②の基本的な論理を維持し、この考え方を前提として、これに当てはまる例外的な場合として、我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限られるとしてきたこれまでの認識を改め、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」場合もこれに当てはまるとしたものである。昭和四十七年の政府見解について、基本的な論理にまで遡って検討したのは本閣議決定に至る過程での検討が初めてであるが、本閣議決定は、国際法上集団的自衛権の行使として認められる他国を防衛するための武力の行使それ自体を認めるものではなく、あくまでも我が国の存立を全うし、国民を守るため、すなわち我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として、一部、限定された場合において他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とする武力の行使を認めるにとどまるものである。したがって、これまでの政府の憲法解釈との論理的整合性及び法的安定性は保たれている。

 

≪提出にあたって≫

政府が、限定的な集団的自衛権の行使容認の根拠として主張している昭和47年の政府見解に関する過去の政府答弁について、質問主意書を提出しました。

昭和47年の政府見解とは、「集団的自衛権の行使は、憲法上許容されない」という見解を示すもので、これまでの政府の憲法解釈の基礎となるものでした。ところが、政府は、平成26年7月1日、「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」を閣議決定し、限定的な集団的自衛権の行使を容認するに至りました。

しかし、従来の政府見解との整合性が疑問視され、「過去の内閣法制局長官の意見を聞くべきではないか」との声もあり、平成27年6月22日の衆議院我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会において、過去の内閣法制局長官(宮﨑礼壹参考人および阪田雅裕参考人)の参考人招致が実現しました。

問題となる昭和47年の政府見解の概要は、以下の通りです。

①憲法は自衛の措置を取ることまでは禁止していない。

②もっとも、自衛の措置は、外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫不正の事態に対処するための必要最小限度の範囲にとどめるべきである。

③そのため、わが憲法の下で許されるのは個別的自衛権の行使に限られ、集団的自衛権の行使は認められない。

政府は、昭和47年政府見解の②の論理について、(ア)②の論理の解釈を行ったことはない、(イ)②の「外国の武力攻撃」とは、我が国に対する武力攻撃に限定されているものではない、と説明しています(平成27年6月19日の衆議院我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会における横畠内閣法制局長官答弁)。

しかし、過去に内閣法制局長官を務めた宮﨑礼壹参考人は、「この『外国の武力攻撃』とは何を指すかであります。外国とは相対的な概念でありますから、その後に『国民』とありますので、それとの関係において考えるしかありません。つまり、外国の我が国に対する武力攻撃によって我が国民のと読むしかないのであります。」という意見を陳述されました。

この参考人意見は、(ア)②の論理の解釈を行うものであるうえ、(イ)「外国の武力攻撃」を我が国に対する武力攻撃に限定するものであるため、政府の説明との矛盾が生じます。くわえて、宮﨑参考人は、過去に内閣法制局長官として政府答弁を行う立場にあったため、過去の政府答弁との整合性も問題となります。

そこで、以下の点を質問しました。

①政府は、過去において、昭和47年政府見解の②の論理の解釈を行ったことはないか。

②政府は、過去において、昭和47年政府見解の②にある「外国の武力攻撃」を我が国に対する武力攻撃に限定した答弁を行ったことはないか。

過去の政府見解について、現職とOBの内閣法制局長官の見解が対立するという異常な事態となっておりますが、冷静に問題点を分析する姿勢を大切にしていきたいと思います。

 

≪回答を受けて≫

政府の答弁は以下の通りです。

①政府は、過去において、昭和47年政府見解の②の論理の解釈を行ったことはないか。

②政府は、過去において、昭和47年政府見解の②にある「外国の武力攻撃」を我が国に対する武力攻撃に限定した答弁を行ったことはないか。

→(①②をあわせて)昭和47年の政府見解について、基本的な論理にまで遡って検討したのは、平成26年7月1日の閣議決定に至る過程での検討が初めてである。(それ以前において、②の論理の解釈及び②の論理にある「外国の武力攻撃」を我が国に対する武力攻撃に限定した答弁を行ったことはない。)

←括弧内は政府側担当者からの聞き取りによります。

質問①および②について、あえて論点をずらした答弁という印象を受けました。すなわち、あえて②の論理の解釈、および、「外国の武力攻撃」に関する答弁に言及することを避けたという印象を受けました。

なお、政府答弁によると「昭和47年の政府見解について、基本的な論理にまで遡って検討したのは、平成26年7月1日の閣議決定に至る過程が初めてである」とのことですが、昭和56年6月3日の衆議院法務委員会において、「そして憲法九条の解釈として、自衛権というものは政府がたびたび申し上げているように持っているわけでございますけれども、その自衛権というものはあくまで必要最小限度と申しますか、わが国が外国からの武力攻撃によって国民の生命とか自由とかそういうものが危なくなった場合、そういう急迫不正の事態に対処してそういう国民の権利を守るための全くやむを得ない必要最小限度のものとしてしか認められていない、こういうのが私どもの解釈でございます。」という②の論理の解釈と目される答弁が、当時の内閣法制局長官より行われています。

そのため、この昭和56年の答弁に照らして、改めて政府の姿勢を質したいと思います。

 

 

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