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平成27年9月19日、安全保障関連法案(我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律案、および、国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律案)が成立しました。
私の安全保障に関する信条はあくまでも「国民の生命を守ること」にあります。そのため、集団的自衛権を全面的に否定するものではありません。むしろ、北朝鮮の弾道ミサイルという新たな脅威に対して米国と共同で対処するためには、集団的自衛権の法整備は必要であると考えます。
確かに、安保関連法案は、国論を二分する重要法案を11本も束ねたため、疑問点も少なくありません。しかし、安全保障問題は、感情論を戒め、党派を超えて、疑問点を整理し、冷静な議論を心掛ける必要があると考えます。
安保関連法案の成立を受けて、自分自身が8回質問に立ち、委員会審議を通じて訴えた問題意識を整理するとともに、今後の課題についても提言させて戴きます。
1、ホルムズ海峡の機雷掃海について
政府は、「日本に輸入される原油の8割が依存している」ことを理由に、ホルムズ海峡の機雷掃海を、集団的自衛権によって説明しようとしています。しかし、資源別発電実績に占める原油の割合は1割弱(9.3%)に過ぎず、その8割が途絶したとしても7%程度の電力不足に留まるため、集団的自衛権の要件である「国の存立が脅かされる」とまでは認められない、と考えます。
確かに、日本の機雷掃海能力は高く、これを活用するという発想自体は異論ありません。しかし、機雷敷設は、その海域を利用する国際社会に対する迷惑行為であるため、機雷掃海は、国際貢献の一環として捉えるべきではないでしょうか。機雷掃海については、集団的自衛権ではなく、集団安全保障の枠組みでとらえ直すべきと考えます。
【参照】7/30(木)参議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会報告① 集団安全保障による機雷掃海の可否
【参照】7/30(木)参議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会報告② ホルムズ海峡封鎖による機雷掃海
【参照】8/4(火)参議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会報告① ホルムズ海峡封鎖によるLNG不足
2、武力攻撃を受けた国の「同意または要請」について
集団的自衛権における「存立危機事態」の認定に当たって、武力攻撃を受けた国の「同意または要請」が必要か否かについて、政府の答弁は二転しました。
政府は、最終的に「『同意または要請』は、存立危機事態の認定に伴い閣議決定する対処基本方針の『認定の前提となった事実』として必要になる」との政府見解(平成27年8月28日「存立危機事態の認定に際し、相手国からの要請が必要であるかについて」)をまとめました。しかし、仮に、政府見解が示されないまま立法化された場合、「同意または要請」の要否を巡り、現場が混乱したことは想像に難くありません。
このような混乱が生じた原因は、「同意または要請」を条文に明記しなかったことにあると思われます。現場の無用な混乱を避けるためにも、安保法制全般を通じて、実態に即した形で条文の整除を行う必要があると考えます。
【参照】8/25(火)参議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会報告② 武力攻撃を受けた国の要請または同意
3、朝鮮半島有事の際の退避する邦人の保護について
現在、韓国には、短期滞在者も含めて6万人弱の日本国民が在留しています。そのため、朝鮮半島有事の際には、日本に退避する在留邦人の保護が問題となります。
ところが、政府の説明は、在留邦人を輸送する艦船が、日本の船か外国の船かによって防護の方法が異なる(日本の船であれば個別的自衛権、外国の船であれば集団的自衛権)というものです。そのため、仮に外国の船であった場合、その国が「日本と密接な関係のある国」と認められ、その国から「要請または同意」がない限り、在留邦人を輸送する艦船であっても防護できないということになります。
しかし、たまたま乗る船によって邦人保護に差異が生じるというのは不条理ではないでしょうか。北朝鮮問題は、まさに今そこにある危機です。私は、どちらの船も、邦人の生命を守るためには、個別的自衛権で防護すべきと考えます。
問題はその法律構成ですが、①いわゆる在外地国民の保護の事例(海外に滞在する国民の保護について、滞在国による保護が期待できない場合、例外的に、本国が自衛権を行使することで国民の保護を図ることも国際法上許容されている)と同様に解して、外国の船で退避する邦人の保護も個別的自衛権で図る、または、②「公海上の日本の船に対する攻撃は、我が国に対する武力攻撃と解する余地がある」「我が国事態と認められる場合には、邦人を輸送する第三国船舶も個別的自衛権によって防護しうる」という政府答弁から、日本の船に対する攻撃の着手を広く認めて、個別的自衛権による第三国船舶防護の範囲を広げる、ということが考えられます。
今回の安保関連法案の審議を通じて、非常に残念に思うことは、これまでの個別的自衛権の議論が十分整理されずに、いわば二項対立的に集団的自衛権の議論がなされたことです。安保関連法制の今後の運用に当たっては、これまでの個別的自衛権の議論を整理したうえで、個別的自衛権で対応できる部分と集団的自衛権が求められる部分を精査していくことが必要であると考えます。
【参照】8/4(火)参議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会報告③ 邦人輸送中の米艦防護
【参照】8/25(火)参議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会報告③ 在外邦人を輸送する船舶の防護について
4、昭和47年政府見解について
政府は、①昭和47年政府見解作成当時の事実認識と比べて安全保障環境が変化したことを理由に、②基本論理を維持すれば、当てはめの部分を変更して集団的自衛権の行使を認めても法的安定性を害さないとして、集団的自衛権の行使を認めないとした昭和47政府見解の憲法解釈を変更しています。
しかし、②´基本的論理と当てはめに分ける政府の昭和47年政府見解の読み方は、「接続詞」から読み取れる論理と矛盾すること、および、①´昭和47年政府見解と同じ日に提出されたもう一つの政府見解は「国際情勢、武力攻撃の手段・態様は千差万別」であることを認めており、安全保障環境の変化は理由とならないことから、昭和47年政府見解を、憲法解釈を変更する根拠とすることは大変理解しづらいと考えます。
国民の生命を守るために集団的自衛権の議論は避けて通れませんが、そのためには、他の政府見解も含めて、従来の議論との法的安定性を保てるだけの理論的検証が必要です。安保法制を整備する大前提として、集団的自衛権の行使を容認する理論的検証を再度行う必要があると考えます。
【参照】8/19(水)参議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会報告 昭和47年政府見解
【参照】9/9(水)参議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会報告 昭和47年政府見解作成当時の政府の事実認識
5、徴兵制について
安保関連法案を巡り「徴兵制が復活するのでは?」という危惧が示されています。
確かに、政府は、「徴兵制は憲法違反である」と説明していますが、他方で「徴兵制は、軍隊を前提とする制度である」「自衛隊は、軍隊とは異なるものである」とも答弁しているため、「自衛隊は、軍隊に当たらないため、強制的に加入させても徴兵制に当たらない」という解釈を生む余地が残されていました。
そこで、この点を指摘したところ、「自衛隊は、『軍隊』そのものではないが、本人の意に反して自衛隊に要する人員を徴集し強制的にその役務に服させることは、憲法上許容されるものではない。」という解釈の余地を埋める政府見解が示されました。
政府は、国民の理解を促すためにも、「総合的に判断する」等の抽象的な答弁を改め、裁量の余地を狭める結果となっても、具体的に説明する努力をされるべきだと思います。
【参照】8/4(火)参議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会報告② 徴兵制
【参照】8/25(火)参議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会報告① 政府の答弁姿勢
6、採決について
安保関連法案の採決は、平和安全法制特別委員会の議場が騒然となるなかで行われたとのことですが、議事録には「聴取不能」とあり、内閣提出の2法案及び維新の党提出の7法案のいずれが採決の対象となったのか明らかではありません。また、国民的な理解が進んでいない中での採決は大変残念でもあります。
しかしながら、旧みんなの党では、昨年、安保法制懇による答申が出された際に、基本的に集団的自衛権の行使容認の方向で、政調会長として議論の取りまとめを行っておりました。みんなの党は解党されましたが、こうした経緯を帳消しにする訳にはいきません。
そのため、参議院本会議での採決はあえて棄権いたしました。
安全保障環境を巡る問題は、党派を超えて取り組むべき問題だと考えます。委員会質疑を通じて見えてきた課題を含めて、不断に検討し、今後も提言して参りたいと思います。
9月11日、参議院平和安全法制特別委員会において、安倍総理が記者会見で説明した「邦人輸送中の米輸送艦の防護」について、総理の見解を質しました。
安倍総理は、昨年7月1日の集団的自衛権の行使を容認する閣議決定後の記者会見において、日本人親子が乗船する米輸送船のパネルを示しながら、「日本人の命を守るため、自衛隊が米国の船を守る。それをできるようにするのが今回の閣議決定です。」と説明しました。これを見た多くの日本人は、「日本人親子の存在」は存立危機事態の認定に不可欠であると信じたと思います。
ところが、中谷防衛大臣が、同じ事例で「存立危機事態の認定に当たって、日本人の乗船は不可欠ではない」と答弁されたため、日本人親子の存在意義が曖昧になってしまいました。
そこで、安倍総理に「記者会見時の総理の認識として、日本人親子の存在は不可欠であったのか?」と確認させて頂きました。
安倍総理は、「(朝鮮半島有事に備えて)米国と共同のオペレーションをするときに、日本人が乗っている船は守るけれども、(日本人が)ゼロなら守らない、ということになれば、そもそもエバキュエーションのプランは成り立たない。」、「(日本人が)乗っていない船を守ることもありうる。」と答弁して、日本人の乗船は不可欠ではないことを認めました。
しかし、安倍総理は、存立危機事態の認定に当たって、「多くの日本人が乗っている可能性がある船を攻撃することから、日本に対する攻撃意図が伺われ、存立危機事態に当たる」として、日本人の乗船を前提とした説明をしています(平成27年7月10日衆議院平和安全法制特別委員会)。
そこで、安倍総理に、この説明との整合性について尋ねました。
安倍総理は、「まさに日本に逃れようとしている日本人を運んでいる米国の船が攻撃される可能性がある、それは存立危機事態を認定する要素になると申し上げた。実際のエバキュエーションにおいて日本人が乗っていない船も、当然守りうる。」として、日本人の乗船は、要素に留まることを明らかにしました。
仮に、安倍総理の説明が正しいとすると、日本人が乗船している船は存立危機事態と認定される確度が高まり、乗船していない船は確度が低いということになりかねません。
そこで、安倍総理に、「この認識で間違いないか」と尋ねました。
安倍総理の答弁は、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があると判断する中で、委員の挙げられた点(日本人の乗船)は要素になる。」「米国が紛争国から逃れてくる日本人を米国の艦船で運ぶことが想定されるなかで、その船が攻撃されるということは、日本人が攻撃されることにつながり、三要件に当てはまるという可能性があるということになる。」というものにとどまり、存立危機事態の認定の確度が高まるのか否か、という点についてはお答えいただけませんでした。
このように総理の十分な答弁をいただけていない現状においては、いまだ採決を許す環境が整ったとは認められません。なによりも、まだまだ質問事項・確認事項が残っております。
政府・与党に対しては、次期国会への継続審議を希望するとともに、間違っても強行採決などを行わないように重ねてお願い申し上げます。
9月9日の参議院平和安全法制特別委員会において、政府が集団的自衛権行使を容認する根拠として主張する「昭和47年政府見解」作成当時の事実認識について、質問しました。
政府は、「安全保障環境の変化により、昭和47年政府見解作成当時の事実認識が変わった」ことを理由に、昭和47年政府見解(内閣法制局作成)で示された憲法解釈を改め、集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈を示しています。
しかし、昭和47年政府見解には、同じ日に防衛庁(当時)が作成した「自衛行動の範囲について」という政府見解が存在します。そして、もう一つの政府見解(防衛庁作成)には、「憲法第9条が許容している自衛行動の範囲について…その時の国際情勢、武力攻撃の手段・態様等により千差万別であり、限られた与件のみを仮設して論ずることは適当でないと思われる。」という一節があります。
そのため、政府が集団的自衛権の行使を容認する根拠として主張する「安全保障環境の変化による事実認識の変化」が、果たして集団艇自衛権を巡る憲法解釈を変更する根拠になりうるのかという疑問が生じてまいります。
そこで、以下の点を質問致しました。
①2つの昭和47年政府見解は、併せて読むべきものでないか。
②政府が、安全保障環境の変化として主張する「グローバルなパワーバランスの変化」「北朝鮮の弾道ミサイル」は、もう一つの昭和47年政府見解で示された「国際情勢」「武力攻撃の手段・態様」に該当するものではないか。
③事実認識や安全保障環境の変化は、昭和47年政府見解を改める根拠とならないのではないか。
中谷大臣より、以下のようなご答弁をいただきました。
①について
「そのとおりでございます。当時の基本的な論理に基づいて、この文書の考えが示されました。」
②について
「47年の防衛庁の文書におきましては、限られた与件で判断するのではなくて、その時の状況の中で個別具体的に判断していくものであると述べたものであります。私や総理が述べていることについては環境の変化は当時と違うということで、そういった認識は違うという意味で、基本的に違うのではないかと思います。」
③について
「47年の文書につきましては、当時の考え方におきまして、基本的論理に、これを、当時の時代をあてはめて考えていたわけでありまして、当時は個別的自衛権しか認めていなかったという状況でございます。ここで書かれているのは地理的範囲ということで、この状況においては、それは千差万別であるという風に書かれたものと思っています。」
①はともかく、②および③の答弁については、質問に正面から答えて頂けませんでした。なお、中谷大臣は防衛庁作成の昭和47年政府見解について、「地理的範囲を述べたもの」と答弁されていますが、この文章の5番は、「憲法9条が」から始まり「憲法論としては抽象的な原理・基準でやむを得ない」という憲法論を述べたものと考えられます。
安保法案の審議が進むについて、政府側の答弁に混乱が目立つようになって参りました。政府側の答弁を整理する意味も踏まえて、丁寧な議論を心掛けていきたいと思います。
9月2日の参議院平和安全法制特別委員会において、政府が集団的自衛権の必要性を説明する「邦人輸送中の米輸送艦の防護」事例について、中谷防衛大臣に質問しました。
朝鮮半島には、短期滞在者も含めて約6万人の邦人が滞在しており、朝鮮半島有事の際には、退避する国民をいかに守るかが重要な課題となります。ところが、政府の立場は、退避する邦人がたまたま乗り込む船(日本の船か、アメリカの船か、ベトナムなどの第三国の船か)によって、邦人保護に差異が生じるという不条理なものです。
【参照】8/4(火)参議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会報告③ 邦人輸送中の米艦
【参照】8/25(火)参議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会報告③ 在外邦人を輸送する船舶の防護について
これに加えて、平成27年8月26日の本委員会において、中谷防衛大臣が、邦人輸送中の米輸送艦の防護事例について、「存立危機事態を認定するに当たって、邦人の乗船は不可欠ではない」と答弁されました。この答弁は、アメリカの船は邦人が乗っていなくても防護できるというものであり、邦人保護の観点からより不条理なものといえます。
そこで、中谷防衛大臣に、「この事例は、邦人保護の事例ではなく、有事の際の米艦防護の事例なのではないか。」「初めから日本人親子の存在は不可欠ではないと、説明するべきではなかったか。」「有事の際の米艦防護の事例として、日本人親子が乗船していないイラストを出し直すべきではないか。」と質問しました。
中谷防衛大臣の答弁は、以下の通りです。
「我が国に対する武力攻撃の発生がなければ、こういった米国の船舶を防護できないということを国民に分かりやすく説明するためにこの事例を挙げた。」
「あくまでも存立危機事態の対処としては新三要件で行う。こういったいろんな要件があって総合的に判断するということで、この事例を挙げた。邦人が輸送されていることは判断の要素のひとつである」
「弾道ミサイルからの米艦艇の防護、ホルムズ海峡における機雷の敷設、邦人輸送中の米艦船の防護、いずれの事例においても、判断要素のひとつだけ取り出して判断するとは説明していない。個別具体的な事例の中で、総合的に判断する必要があると説明している。」
中谷大臣の答弁にあるように、邦人の輸送が要素に過ぎないのであれば、日本人親子を強調して集団的自衛権の行使の必要性を情緒に訴えるような説明は、避けるべきではなかったでしょうか。
政府は野党に対して、「批判が情緒的だ」「扇情的である」と批判していますが、そのような批判をされるのであれば、まずは政府が日本人親子を除いたイラストを提示するなどして、襟を正すべきではないでしょうか。
とりわけ安全保障問題は愛国心や不安感といった感情論で語られることが少なくないため、冷静な判断が要求されます。感情的になりがちな問題であるからこそ、論理的な議論を心掛けていきたいと思います。
8月25日の参議院平和安全法制特別委員会において、在外邦人を輸送する船舶の防護について、質問しました。
資料は、安倍総理が集団的自衛権を行使する典型例として説明する事例(海外有事の際に日本へ避難する日本人母子を乗せたアメリカの輸送艦を自衛隊が防護する事例)に、同じく日本へ避難する日本人母子を乗せた日本船舶と第三国船舶を加えたものです。
安倍総理は、この事例を集団的自衛権で説明されていますが、米輸送艦に乗船した日本人母子の防護は集団的自衛権で説明できるとしても、第三国船舶に乗船した日本人母子の命を守れるのかという観点から質問しました。
そもそも、事情判断にもよりますが、公海上の日本船舶に対する武力攻撃については、我が国は個別的自衛権を行使できると考えられております(平成14年7月16日政府答弁書)。
くわえて、政府見解「有事における海上交通の安全確保と外国船舶について」によると、我が国が個別的自衛権を行使しうる状況であれば、国民の生存を確保するために必要不可欠な物資を輸送する第三国の船についても個別的自衛権を及ぼしうる、との見解が示されています(昭和58年3月15日の参議院予算委員会)。
そこで、「物資の輸送」の事例において個別的自衛権を及ぼしうるのであれば、「在外邦人の輸送」の事例においても個別的自衛権を及ぼしうるのではないか、と質問しました。
安倍総理の答弁は、以下の通りです。
「既に日本への攻撃が発生している、我が国事態がすでに発生しているという状況であれば、日本への物資が運ばれている船を個別的自衛権の延長で当然に守れる。邦人を乗せている船に対して、日本を攻撃している国が攻撃すれば、守りうる。」
「我が国に対する武力攻撃が発生していない場合に、我が国の船でない船に対して攻撃がされた場合は、外形上は集団的自衛権の行使に当たる。」
政府が、我が国への武力攻撃(日本船舶への武力攻撃を含む)が発生していると認められる状況下において、日本人を輸送する第三国船舶に対しても個別的自衛権を及ぼし得る、との答弁を引き出せたことは、大変重要な意義があると考えております。
朝鮮半島有事の際には、数十万人の外国人(日本人だけでも6万人近く)が、ひとまず日本に退避してくることが想定されます。そのため、釜山~博多の間(200キロ:浜松~東京の距離に相当)は、日本人を含む数十万人を運ぶ船舶で埋め尽くされることが予想されます。そして、その船は、日本やアメリカの船に限らず、パナマ船籍・リベリア船籍といった第三国の船も多く含まれるでしょう。
このような状況において、はたしてパナマやリベリアから、「要請または同意」を取り付けて集団的自衛権を行使することが現実的といえるのでしょうか。むしろ邦人保護のためには、個別的自衛権を拡張していくケースと捉えるべきではないでしょうか。
政府の想定する集団的自衛権の行使では、邦人保護に当たって重大な欠陥を生じるおそれがあります。
この問題点については、引き続き質していこうと思います。
8月25日の参議院平和安全法制特別委員会において、中谷防衛大臣に、集団的自衛権の行使に当たって問題になる「武力攻撃を受けた国の要請または同意」について尋ねました。
集団的自衛権を行使するに当たり、「武力攻撃を受けた国の要請または同意があること」が要件となっております。しかし、「武力攻撃を受けた国の要請または同意」が、集団的自衛権行使の前提となる存立危機事態の認定の要件として必要なのか否かは、明らかではありませんでした。
そこで、中谷大臣に、「武力攻撃を受けた国の要請または同意」は存立危機事態を認定する要件として必要なのか、尋ねました。
中谷大臣の答弁は、以下の通りです。
「武力攻撃を受けた国の要請または同意については、存立危機事態の定義そのものに含まれていない。」
「国際法上、集団的自衛権の行使に当たっては、武力攻撃を受けた国の要請または同意があることが当然の前提である。我が国が武力を行使するに当たり国際法を順守することは、昨年7月の閣議決定においても、自衛隊法第88条第2項においても明記されている。」
「武力攻撃を受けた国の要請または同意が存在することは、存立危機事態認定の前提となった事実として、対処基本方針に明記する必要がある。」
「我が国が集団的自衛権を行使するに当たって、武力攻撃を受けた国の要請または同意が存在しないにもかかわらず対処基本方針を閣議決定することはなく、存立危機事態を認定されることはない。」
中谷大臣の答弁からは、存立危機事態を認定する要件として必要なようにも聞こえるのですが、その点について「端的に明らかにして欲しい」と質問しても、明確に答弁されませんでした。実は、この質問は、8月21日の参議院平和安全法制特別委員会における水野賢一委員(無所属クラブ)のフォローアップとして尋ねたものでしたが、中谷防衛大臣のご答弁は、その時と変わらず曖昧なままでした。
集団的自衛権の根本的な要件ですら政府が明確に答えられない原因は、法案に明記されていないからだと思われます。すなわち、政府の提出している安保法案は、本来書くべきことが書かれていない欠陥法案なのではないでしょうか。
今後も引き続き、政府提出法案の不備を厳しくチェックして参りたいと思います。
8月25日の参議院平和安全法制特別委員会において、政府の答弁姿勢について、安倍総理の認識を伺いました。政府の答弁ぶりは、評価できる部分もあるものの、「丁寧な説明」とはほど遠い部分もあると感じております。
8月4日の参議院平和安全法制特別委員会において、徴兵制と自衛隊の関係について、政府答弁の穴について質問しました。政府は、これまで徴兵制を「軍隊を前提とした制度」と捉える一方で、自衛隊については「軍隊と異なるもの」と捉えていたため、政府答弁には「自衛隊は軍隊ではないため、強制的に徴集されても徴兵制に反しない」という穴が存在しました。この点について、8月4日の委員会で質問したところ、政府統一見解によって以下の点が明らかとなりました。
①自衛隊は、軍隊そのものではないが、本人の意に反して自衛隊に要する人員を徴集し強制的にその役務に服させることは憲法上許容されない。
②役務の提供先となる組織が、軍隊と呼称されるものであるか否か、また、その役務が、兵役と呼称されるものであるか否かにかかわらない。
政府として、明瞭に見解を示され、後々の憂いを断たれた点については、大変評価しております。
しかし、その一方で、これまでの政府側の答弁には、政策論と法律論を混同しているものや、法律の細部についての理解の怪しいものが多々見受けられました。
そこで、安倍総理に、政府のこれまでの答弁が、質問に明確に答えているものと認識しているのかと尋ねました。
安倍総理からは、「我々は、この委員会において、ご質問に対して真摯に答えているつもりである。今後も委員会の審議を通じて、国民の理解が深まっていくよう引き続き努力を重ねていきたい。」との答弁をいただきました。
しかし、その後も不明確な答弁が相次ぎました。詳細は、8/25(火)参議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 武力攻撃を受けた国の要請または同意をご覧ください。
8月19日の参議院平和安全法制特別委員会において、政府が集団的自衛権を導く根拠とする昭和47年政府見解について、質問しました。
1、昭和47年政府見解における基本的論理について
政府は、集団的自衛権の行使容認を導くに当たり、昭和47年政府見解を①の部分、②の部分、③の部分の3つに分け、③の部分の冒頭に「そうだとすれば」という結論を導く接続詞があることから、①②の部分は基本的論理であり維持しなければならないが、③の部分(集団的自衛権の行使を否定する部分)は帰結であり、あてはめにすぎないので、変更可能である、と説明しております。
しかし、③の部分をよくみると、「そうだとすれば」の後に「したがって」という結論を導く接続詞が認められます。そのため、基本的論理と帰結に分けるという政府の立場に沿って考えるとしても、③の前段(そうだとすれば~したがっての間)も基本的論理に含まれるのではないでしょうか。仮にそうであるとすれば、③の前段の「憲法上許容されるのは個別的自衛権に限られる」という部分が基本的論理に含まれることになり、集団的自衛権を導くことはできないと思われます。
そこで、横畠内閣法制局長官へ、昭和47年政府見解の基本的論理とは、①②の部分に加えて、③の前段まで含まれるのではないか、と尋ねました。
横畠内閣法制局長官の答弁は以下の通りです。
「③の前段部分は、『憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは』と『我が国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる』という2つの部分で成り立っているが、『許される』と『限られる』の間に理由が必要である。その理由となるのが①②の部分である。その意味で、『そうだとすれば』という接続詞が用いられている。」
「③の部分の前段と後段の関係については、前段の部分で『わが憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、我が国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる』といった以上は、これすなわち、③の後段部分は『集団的自衛権の行使は憲法上許されない』ということになる、という構造になっている。」
横畠長官は、③の「したがって」という接続詞を、「すなわち」と同義を導く関係で捉えていますが、「したがって」は結論を導く接続詞として読むのが通常の日本語の読み方ではないでしょうか。政府の解釈は「したがって」という接続詞の理解として、無理があるといわざるを得ません。
政府による昭和47年政府見解の変更は、集団的自衛権を導くための強引な読み替えであり、その無理が接続詞の解釈という部分に表れていると思われます。
2、昭和47年政府見解当時の事実認識について
政府は、安全保障環境の変化を理由に集団的自衛権の行使を導く前提として、「昭和47年政府見解の当時の事実認識として、我が国に対する直接の武力攻撃が生じない限りは、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆されるような事態には至らないという理解であった」と説明しております。
しかし、この事実認識と矛盾しかねない資料がありましたので、改めて、政府に対し当時の事実認識について質問しました。
政府は、集団的自衛権に関する昭和47年政府見解を出したのと同じ日に、同じ参議院決算委員会宛てに、同じ水口議員の質疑に対して、「自衛行動の範囲について」という政府見解を提出しております。
そのなかで、「憲法第9条が許容している自衛行動の範囲について…その時の国際情勢、武力攻撃の手段・態様により千差万別であり、限られた与件のみを仮設して論ずることは適当ではないと思われる。」という見解を示しています。
この見解のあらゆる事態を想定しており、限られた与件を仮設するべきではないという部分が、「我が国に対する武力攻撃が生じた場合に限られる」という限定的な事実認識と矛盾するのではないかと思われます。
そこで、この資料を出した防衛省(旧防衛庁)の中谷大臣へ、この資料とこれまでの政府の説明は矛盾しないのかを質問しました。
中谷大臣からは、以下のご答弁をいただきました。
「昭和47年政府見解と同時に提出した『自衛行動の範囲について』でありますが、海外派兵について記載されておりまして、武力行使の目的をもって武装した部隊を他国の領土・領海に派兵する海外派兵は、一般に自衛のための必要最小限度を超えるものであって憲法上許されないという認識をもっています。」
「私の考えではありますが、同時に自衛権の発動の3要件を満たすものがあるとすれば、憲法上の理論としては、そのような行動をとることが許されないわけではないと解しておりまして、特に敵地攻撃について、従来の考え方は、法的な理屈について新三要件のもとでも変わらないという以前に答弁があるもの、そういうものを念頭に書かれたものではないかなと解釈をしています。」
中谷大臣のご答弁は質問と噛み合っていないように思えましたので、政府に対して改めて政府見解を示すように求めました。
政府見解が届きましたら、あらためてご報告させて頂きます。
8月19日の参議院平和安全法制特別委員会において、「国際法における集団的自衛権」の概念について、質問しました。
これまでの安保法案の審議において、集団的自衛権の合憲性(違憲性)についてはかなり採り上げられましたが、「国際法における集団的自衛権」に関する議論に乏しく、その概念自体も整理されていないように見受けられます。
他方で、政府は「国際法上違法な行為を支援することはない」と明言しているため、後方支援を行う前提として支援対象国の行為の国際法上の適法性を判断することが求められております。たとえば、アメリカの武力行使が「国際法における集団的自衛権」の行使として適法なものであれば日本も後方支援することができますが、そうでない違法な武力行使であった場合には、後方支援を控えなければなりません。
このように他国を支援する前提となる「国際法における集団的自衛権」の概念について、政府の見解を質しました。
資料①にお示ししておりますが、国際法における集団的自衛権の考え方は、①個別的自衛権共同行使説、②他国防衛説、③死活的利益防衛説の3つに大別されます。
このなかで、国際司法裁判所は、広く他国を防衛する権利と捉える②他国防衛説に近い考え方を採用したといわれております(ニカラグア事件判決)。すなわち、現在の世界標準の「国際法における集団的自衛権」の捉え方は、ニカラグア事件判決≒他国防衛説と考えられます。
他方、政府は、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が攻撃されていないにもかかわらず阻止する権利」と解しており(平成15年7月15日政府答弁書)、自国と密接な関係にある他国を防衛する権利と捉える③死活的利益防衛説に近い考え方といえます。
そのため、「自国と密接な関係にある他国」に限定するか否かを巡って、政府の捉え方と世界標準の考え方で差異が認められます。
そこで、岸田外務大臣へ、「国際法における集団的自衛権」について、政府の捉え方とニカラグア事件判決で示された概念は同じものなのか、違うものなのか、を尋ねました。
岸田外務大臣からは、以下のご答弁をいただきました。
「ニカラグア事件判決が他国防衛説に立っているのではないか、という指摘があることは知っているが、他方で、ニカラグア事件判決では他国の要請または同意が要件とされており、他国防衛説と完全に一致しているわけではない。」
「ニカラグア事件判決で示された『要請』は、密接な関係にあるからこそ要請が行われるのであり、ニカラグア事件判決はその意味における『密接な関係』を否定するものではない。」
「(国際法における集団的自衛権を巡る)我が国の考え方と国際社会一般の考え方は一致している。」
岸田大臣は「要請があるから、密接な関係が認められる。」と答弁されていますが、仮に政府の捉え方(フルスペックの集団的自衛権、③死活的利益防衛説)に立つとしても、「密接な関係」と「要請」という要件は分けて考えるべきではないでしょうか。
「要請があるから、密接な関係が認められる。」という岸田大臣の答弁は、ニカラグア事件判決における集団的自衛権の概念を、政府の捉え方に無理に合わせる強引な印象を受けました。
なお、「国際法における集団的自衛権」の捉え方を巡り、政府と国際社会一般において乖離が生じた理由について、私は、政府見解を作成した時期とニカラグア事件判決の時期の問題と考えております。
政府の集団的自衛権の捉え方は、昭和47年政府見解により明らかにされ、基本的にはその後も維持されています。実は、昭和47年当時、③死活的利益防衛説が通説的地位を占めており、おそらく当時の政府関係者は、この通説(③死活的利益防衛説)に沿って、政府見解を作成したと思われます。
しかし、昭和61年にニカラグア事件判決が出され、国際社会一般における通説は②他国防衛説となりました。本来であれば、この時点において、政府は集団的自衛権の定義を改めるべきであったと思われますが、これを怠ったため、いまのような乖離が生じていると思われます。
安保法案を整備するというのであれば、こういった問題点も整理するべきではないでしょうか。今後も、政府に対して整理しきれていない問題点を追及して参ります。
8月4日、参議院平和安全法制特別委員会において、邦人輸送中の米艦防護の事例について質問しました。
安倍総理は、集団的自衛権行使の説明として、ホルムズ海峡の機雷掃海とならんで、朝鮮半島有事の際に朝鮮半島に残された日本人を輸送する米艦船を防護する事例を挙げています。この事例に、ベトナムの艦船が日本人を輸送する事例を加えて、邦人保護の可否について質問いたしました。
そもそも、安倍総理は、衆議院の審議において、「多くの日本人が乗っている可能性が十分あるにもかかわらず、それを攻撃するということは、日本を攻撃する意図が十分に伺われる」ことを理由に、「邦人輸送中の米艦が攻撃される明白な危機という段階において、存立危機事態の認定が可能である」として、邦人輸送中の米艦の防護を認めています。
しかし、「多くの日本人が乗っている可能性が十分ある」という事情は、米艦船に限られません。たとえば、韓国は10年ほど前から外国人労働者を受け入れる政策をとっているため、韓国には、日本人よりも多くのベトナム人が滞在されています。そのため、朝鮮半島有事の際には、ベトナムが艦船を派遣し、自国民を一時的に日本に避難させることが考えられます。その過程で、日本人が乗り込むことも十分に考えられます。
そこで、ベトナム艦船に乗り込んだ日本人も防護の対象になるのか、と質問しました。
安倍総理からは、以下のようなご答弁をいただきました。
「日本人を守れるか否か、すなわち自衛の措置をとりうるか否かは、新三要件に当たるか否かがすべてだ。新三要件に当たるか否かをその時の状況で総合的に判断する。」
「日本の近隣で紛争が起こることを想定して、エバキュレーションの計画も立てられている。その際には、米国の艦船および米国がチャーターした艦船で多くの人を輸送することが一番考えられる。」
「外形的には、国際法上は、日本に対する武力攻撃がない。他方で、他国に対して武力攻撃があり、集団的自衛権の行使になる。個別的自衛権行使の範囲の拡大をしていくことは国際法上は非常識と考える。」
しかし、たまたま米国艦船に乗っている日本人は救われて、第三国の艦船に乗っている日本人は救われない、という結論は不条理ではないでしょうか。このような不条理が起こるのは、そもそも自国民の保護を、集団的自衛権で説明することに無理があるからではないかと考えます。
このような不条理を避けるためにも、自国民の保護は個別的自衛権で説明するべきではないかと考えます。この点については、今後も質してまいります。