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OECD加盟国の多くでは、外国人旅行者が購入した物品に対して消費税を還付しています。国によって付加価値税、売上税などと名称は違いますが、「観光などで訪れた国で購入した物品を、そのまま自国に持ち帰った場合に免税とする」という考え方では一致しています。
これは「輸出に対しては、消費税をかけない(かけるのはおかしい)」というルールを、旅行者が買って持ち帰ったものに対しても適用している為です。「自国に持ち帰るのは輸出と同じだから」という考え方です。我が国も同様の考え方に基づいて、消費税を還付しています。
2.観光立国とは
ただ、本当に「還付」するべきなのでしょうか?
私たちは、
・「観光」に来てもらって日本と日本人の素晴らしさを知って欲しいのか?
・高級ブランド品が売れて大きな利益を得る外国の業者を喜ばせたいのか?
もう一度、よく考え直すべきかと思われます。
3.外国人旅行者の支出の7割は買い物以外
観光立国という概念が明確に位置づけられたのは2003年1月、小泉純一郎政権の「観光立国宣言」以降です。その後、なかなか進捗が見られなかったのですが、各方面の地道な努力に加えて、ビザの要件が緩和されたことなどもあり徐々に増加し、街中で外国人の姿を見ることが多くなりました。
「爆買い」という言葉が一般的になりましたから、「外国人観光客=外国人買い物客」という印象があるかもしれません。
しかし、外国人旅行者の支出に占める「買い物代」の占める割合は3割にも満たず、7割は宿泊費や飲食代です。観光先進国に比べると高いとも言われていますが、際立って高い訳ではありません。ほとんどの外国人旅行者が、必ずしも「買い物目当て」で来ているのではないことが分かります。
この7割にかかった消費税は、もちろん還付などしていません。また「5000円以上」という基準がありますから、この買い物代のすべてが免税という訳でもありません。しかも、観光客が「モノ消費」から「コト消費」へ移ってきていることから、買い物代の割合は減少傾向にあります。
一方、この「外国人旅行者向け消費税免税制度」を悪用した事例が多発しています。たとえば、昨年の調査では「免税店で1億円以上の買い物をした外国人観光客」の数が680人にものぼっていました。とても実需とは考えられません。
しかも、「免税店で買い物をして日本国内で転売して利益を上げた」として摘発しても、「単なる『買い子』という手先でしかないために支払い能力がなく、徴求出来ていない」と担当者が非常に悔しがっていました。
その防止策として、来年度からは制度そのものを変えて、「買い物時点で消費税を徴求し、後で払い戻す」ことになりました。これにはシステム対応が欠かせませんから、大規模な投資が必要となっています。
日本に観光に来てもらって日本と日本人の素晴らしさを知って欲しいので、そのために大規模な投資をするのは大歓迎です。しかし、税金を返すために、さらに投資をするというのは如何なものでしょうか?
したがって、私は一貫して「免税措置の廃止」を訴えており、先日の自民党の税制調査会でも提言しました。
ちなみに、OECD加盟国すべてが、免税措置を講じている訳ではありません。アメリカで買い物をして、店頭で払った売上税は戻って来ません。制度の悪用に手を焼いたイギリスは、2021年に「旅行者向け付加価値税還付制度」を廃止しました。イギリスの付加価値税の標準税率は20%ですから、免税目当ての買い物旅行者にとっては大変な事態です。
2023年3月に閣議決定した「観光立国推進基本計画」では、冒頭で「旅のもたらす感動と満足感」「観光により地域の魅力を発見」「観光を通じて異文化を尊重し、世界の人々と絆を深めることは、草の根から外交や安全保障を支え、国際社会の自由、平和、繁栄の基盤を築く国際相互理解を増進する」とうたっています。
「免税店での買い物を促進し、国内消費の底上げを図る」などという言葉は、どこにもありません。
一方、インバウンドには光と影があります。消費が増えることは経済にとってプラスですが、オーバーツーリズムや治安の問題などを避けては通れません。きちんと消費税を徴求し、増えた税収を影の部分の対策に投じていくべきです。
財務省によれば、2023年の訪日外国人観光客の「免税購入額」は約1兆5855億円でした。大半は10%の消費税率が適用されていますので、約1600億円が還付されたと推計されています。今年の訪日客は昨年より3割以上増加して約3300万人、年間消費額は約8兆円となると予想されています。その30%が買い物代だとして、2兆4000億円の10%は2400億円です。
7月の観光立国推進閣僚会議では「2030年に6000万人」という数字も出ました。一刻も早くこの措置を取りやめるべきだと思われます。
6.外国人の本音
外国人の知人と話すと「日本は本当に安いね」と言います。聞いていて気持ちのよいものではありません。「だったら、免税でなくても買い物するか?」と尋ねると「する、する。それでも安い」と言われました。
これは、為替の影響だけでなく、長い間のデフレで「値付けそのものが低く設定されている」からではないかと思います。それならば、消費税を払ってもらおうではないですか。
今朝の駅頭から、新しいチラシになりました。テーマは「憲法改正」です。空理空論ではなく、我々が置かれている現状をしっかりと認識した上で、憲法審査会の委員として冷静な議論を進めていきます。
#中西けんじを応援 #鶴見区 #神奈川区
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冷静な議論を ―憲法改正―
厳しい現実
ロシアは、国際法と国連憲章を無視して、今日この時間もウクライナに攻め込んでいます。台湾有事に関して「日本の民衆が火の中に」と、中国大使が我々の目の前で発言したことはご存知の通りです。その中国は、この10年で軍事力を何倍にも強化しました。長距離ミサイルの発射を繰り返す北朝鮮が核武装を進めていることは間違いありません。日本は不穏な軍事大国に囲まれています。
大切なのは外交努力と抑止力
こうした中、まず優先されるべきなのが、外交努力であることは言うまでもありません。わが国は戦後一貫して平和国家として歩んできました。法の支配を尊重し、いかなる紛争も力の行使ではなく平和的・外交的に解決すべきであるとの方針を変えるべきではありません。
しかし、今の日本が置かれている状況を冷静に考えると、皆さんの命や暮らしを守り抜くために「自分の国を自分で守る」ための抑止力を高めていく、つまり相手に対して「日本を攻めても目標を達成できない」「三倍返しにあってしまう」と思わせることが必要です。
ところが、私たちが大切に護ってきた憲法が、その努力の妨げとなってしまっています。
「戦争放棄規定」は当たり前
第一次世界大戦の悲惨な体験を経て、世界各国は国際連盟を作った上で、「紛争解決の手段として戦争を放棄する」とした「パリ不戦条約」を結びました。したがって現在でも150近い国の憲法に、「平和条項」が盛り込まれています。
しかし、当時63か国がこの「不戦条約」を結んでいたにも拘らず、さらに大規模な第二次世界大戦が起きてしまいました。
「平和を愛する諸国民を信頼」したいのですが
それでも、戦勝国も敗戦国も「もう二度と戦争はしたくない」という気持ちが、強まることはあっても弱くなることはありませんでした。
そこで、新たに定められた日本国憲法では、「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼」するので、戦力は持たず戦わないという形で「パリ不戦条約」の理想を改めて掲げた訳です。これには、「新たに出来た国際連合の集団安全保障によって、世界の平和が守られる」ことが大前提となっていました。
ところが、その国連安全保障理事会の常任理事国ロシアが、ウクライナに武力で攻め込んでいる訳ですから、現実はまだまだ不戦条約の理想とはほど遠いところにあります。
したがって「第9条があるから平和が保たれる」という考え方は、空想的平和主義と言わざるを得ません。哲学者の田中美知太郎京都大学名誉教授は、皮肉を込めてこう言いました。
「平和憲法で平和が保てるのなら、台風の日本上陸禁止も憲法に書いてもらえば安心して寝られる」
解釈改憲では無理があります
憲法を改正するには、非常に高いハードルがあります。そこで、苦肉の策として考え出されたのが「自衛のための必要最小限度の武力を持つことは、憲法上許されると解釈している」という解釈改憲です。
しかし、憲法学者の7割が憲法違反だと言い、どの教科書にも「政府は違憲ではないと言っているが、憲法上の問題があるという意見がある」と書かれています。
この状態のままで「非常時には命をかけて国民を守ってください」というのは、あまりに理不尽です。その場しのぎの解釈ではなく、自衛隊を憲法の中できちんと位置付けるべきです。
占領下の基本法(憲法)を廃止したドイツ
ドイツは占領が終わると、占領国が決めた基本法(憲法)を廃止して新憲法を作りました。というのも、国際法(ハーグ陸戦協定)では、占領が終わった後にまで有効な憲法を定めることが許されていないからです。そして基本法(憲法)の第11条に「侵略戦争の遂行を準備する行為は違憲である」と明記した上で、1955年から正式に再軍備を開始しました。
一方、今の日本国憲法は「新憲法」を定めたのではなく、「明治憲法の改正版」という体裁がとられました。しかし、完全に違う内容になっていますから、これは「国際法違反」という批判を避けるための目くらましです。
憲法を「護る」ということ
憲法を護るということは、条文に指一本触れさせないということではなく、最高法規としての役割を果たすことを護るということだと思います。
「現実と合っていないよ」「憲法にはそう書いてあるんだけどね」などとなると、国民の皆さんにとっての憲法は「護るべき最高法規」ではなくなってしまいます。
現実と乖離している点をきちんと改めていくことこそが、本当の意味で「憲法を護る」ということではないでしょうか。